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例題1級

三国時代から始まる魏晉南北朝時代は、貴族制の時代と言われる。皇帝をも凌ぐ権威を持つ貴族は、どのように成立したのか。600字以上800字以内で答えよ。

[解答]
後漢末の党錮の禁を契機に形成された名士層は、名声の序列により表現される、国家とは別の自律的秩序を持つようになる。仲間社会で情報を専有し、豪族の支持を受ける名士は、曹操に仕えた荀彧、劉備に仕えた諸葛亮、孫権に仕えた張昭のように、君主とせめぎあいながら、主体的に三国政権を樹立し、それぞれの政権構造を異なった形にする。そうした中で曹操は、荀彧の殺害を典型とするような名士の抑制策を取った。しかし、曹丕は後継者争いの中で自分を支持した陳羣が献策する、名士の自律的秩序である名声を官僚登用の基準とする九品中正制度を受け入れざるを得なかった。明帝の死後、君主権力の強化を目指す曹爽に対抗する中で、司馬懿が提議した州大中正の制は、有力な名士に郷品の決定権を握らせるもので、君主権力に対する名士の自律性を高めた。蜀漢を滅ぼした司馬昭は、魏晉革命を視野に入れながら、九品中正制度と連動する五等爵制を施行させることにより、公侯伯子男の爵位を持つ者が、高位の郷品を世襲できる制度を確立した。こうして国家的身分制である貴族制が成立する。一方、司馬氏に迎合することで高位高官を得られる貴族制に対して、名声に基づく本来のあり方に回帰することを志向する貴族の中には、名声の基盤である文化の習得に努め、阮籍・嵆康のように君主権力に抵抗する者も現れる。こうして、貴族と君主とのせめぎあいのなかで複雑な形をとりながらも、両晉南北朝を通じて貴族制が展開していくのである。

[解説]
解答は渡邉の貴族と貴族制に対する考え方を大学院生がまとめたもので、解答例の一つに過ぎない。貴族制に関しては、他にも多くの学説が存在するため、そのいずれに従っても、論理的に貴族制の形成が論じられれば、正答である。むろん、既存の学説に囚われず、自らの貴族制への理解を示してもよい。史料によりそれを実証することは難しくとも、仮説を論理的に展開できていれば正答としたい。

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