三国志の夷陵の戦いについて










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夷陵の戦いは、三国志の数多くの戦闘の中でも特に悲壮感が漂っていて、涙なしには読めない部分なんだよ。



三国志は魏と呉と蜀という三つの国が天下の覇権をかけて争う、史実をもとに描かれた物語なんだけど、夷陵の戦いは実際にあった戦闘なの。

三国のうちの蜀という国の君主は劉備っていう人物なんだけど、劉備は皇帝の血縁者でありながら、若い頃は貧乏生活をしていたのね。

貧乏ながらも天下が乱れていくのを憂えていて、何とかできないものかと悩んでいたのだけれど、関羽と張飛という二人の豪傑と出会うことで、天下を平定させるために挙兵することができたんだ。



劉備と関羽と張飛は義兄弟の契りを交わして、その後数十年もの間、苦楽を共にしながら天下を駆け巡ったの。

劉備が蜀の主になれたのは、関羽と張飛の活躍と、三人の固い絆のおかげだと言えるね。



ところが関羽が、敵国である呉との戦闘で負けて、首をはねられてしまったの。

当然劉備と張飛は嘆き悲しんで、弔い合戦として呉に攻め込むの。

他の臣下たちは無茶だと止めたのだけれど、大事な兄弟を殺された劉備と張飛の悲しみと恨みは消えず、阻む臣下を押しのけて万単位の兵を連れて呉に遠征したの。

でもその途中で、張飛が部下に寝首をかかれて殺されてしまうんだ。



張飛を殺した部下は呉に逃亡したから、当然劉備の怒りは呉に向いて、ますます強行に呉へと軍を進めていったの。

戦闘は、序盤は蜀が圧倒的に有利に進めていたのだけれど、徐々に形勢が不利になっていったの。




やがて劉備は敗走した先の白で病に倒れて、そのまま死んでしまった。

夷陵の戦いは、こんなふうに三国志のメインヒーローたちが次々に死んでしまうという戦闘なの。