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官渡の戦いは三国志の序盤に登場する大きな戦になっています。 中国後漢末期に官渡と呼ばれる地域にて曹操と袁紹が争った戦いです。 赤壁の戦い、夷陵の戦いに並ぶ三国志には欠かせない重要な戦いです。 白馬の戦いを前哨戦とし、袁紹の元にいた劉備も参戦していたことから中原一体を巻き込みました。 戦局に関しては、袁紹が檄文を発し、兵を集めた袁紹が曹操に宣戦布告したのが始まりです。 そして、この時先鋒に立ったのが、袁紹側が顔良で曹操側に関羽が登場し、これを白馬の戦いといいます。 顔良は曹操軍に破れ、曹操軍が軍を退いた際、文醜が追撃を行うが奇襲に合い、戦死します。 袁紹軍は、有能な武将を失いますが、軍の兵力は強大です。 戦局は膠着し、曹操軍は、食糧難に陥ります。 誰もが袁紹の勝利を予想していましたが、袁紹の家臣が曹操に寝返ることで状況が一変します。 彼は、袁紹軍の兵糧庫を曹操軍に教え、攻撃させました。 これにより、軍の維持が難しくなった袁紹軍は敗走し、三国志の前半における最大の合戦、官渡の戦いは曹操軍の勝利で終わりました。 しかし、三国志演戯と三国志には、多少の相違点があります。 例えば、先ほどの白馬の戦いにて関羽が登場しました。 三国志には関羽が登場した記載はありませんが、演戯の方には、関羽が登場しています。 演戯は、物語の要素が強く、三国志は史実の書物なので、話の内容に関して違いが生じています。 官渡の戦いに戻りますが、敗戦直後は、袁紹の軍勢の方が未だに大きかったとあります。 これを疲弊させ、曹操に倒されたのは、袁紹亡き後の後継者騒動が大きいとされています。 また、このエピソードは、曹操の後継者を決める際にも引き合いに出されています。 |